日本では好きな人にチョコレートを渡す日として有名なバレンタインデー。
このバレンタインデーがキリスト教の祝祭であることは多くの人が知っていると思いますが、更にその起源となる行事が古代ローマにあったことはまだあまり知られていません。
今回はそんなバレンタインデーのルーツとも言える、ルペルカリア祭の謎に迫ります。
- ルペルカリア祭とは何の為のお祭りだったのか
- ルペルカリア祭で奉られていた神々
- ローマにおけるギリシャの影響はいつから始まったのか
- ルペルカリア祭はどこから来て何故今のバレンタインデーに続くほどのお祭りになったのか
- 最後に
ルペルカリア祭とは何の為のお祭りだったのか
ルペルカリア祭を一言で説明するなら古代ローマにおける豊穣祈願祭で、2月13日~2月15日に行われていました。
豊穣祈願祭とは文字通り、本格的な耕作を始める前に今年一年の豊作を神様にお祈りするためのお祭りで、作物を収穫した後に豊作を神に感謝する収穫祭と対になる行事です。
ちなみに日本の豊穣祈願祭としては祈念祭なるものが存在します。
ちなみにこの祈念祭、いつ行われるか皆さん知ってますか??
2月17日ですよ。
近くないですか日付!?
国や地域、そして時代は違えど豊穣を願う気持ちは同じということでしょうか。
何か人間としての根元的なところで古代ローマとの繋がりを感じるのは自分だけでしょうか。
ルペルカリア祭で奉られていた神々
ルペルカリア祭で何が行われていたかについて触れる前に、このお祭りでどのような神々が奉られていたかについて触れてみたいと思います。
代表的な神としてはファウヌスが挙げられます。
ファウヌスはギリシャ神話における牧神パンをルーツに持つ神です。
古代ローマの伝説によると、ギリシャのアルカディア地方から領民を率いてイタリア半島に移住したエウアンドロスがこのパンを祀るお祭りを始めたのがルペルカリア祭の始まりだとされています。
この伝説が正しければ、ルペルカリア祭はローマ建国以前から存在していたことになり、またその起源が古代ギリシャ文明にあったことになります。
またルペルカリア祭ではファウヌスの他にもギリシャ神話のヘラにあたる女神ユノや、豊穣の女神マイアを奉っていたとされる説もあります。
このように様々な神が挙げられる状況は、ルペルカリア祭が特定の神を奉るために始められたものではなく、豊作を祈願するために始められたことに因るものだと自分は考えています。
各地で始められた豊年祈願祭がローマが地中海を統一していく過程の中、地域による形式様式の差異を残しながらも次第に今に伝わる形へと変わっていったのでは無いでしょうか。
王政及び共和制時代に顕著でしたが、ローマは征服した民族にすら市民権を与えて同胞として迎え入れる懐の深い一面がありました。多様な民族を受け入れるということは多様な価値観を受け入れるということでもあり、宗教もまた例外では無かった筈です。
豊作を願うその気持ちが同じであれば祈る神の違いなど些細な問題だったかもしれません。
まぁ、あくまで私の妄想なのですけど(^-^;
ローマにおけるギリシャの影響はいつから始まったのか
ここで古代ローマとギリシャとの関係についても触れておきましょう。
前1世紀にローマがギリシャ本土を手中に納める以前からローマはギリシャ文化の影響を強く受けています。
と言いますのも、前8世紀~前7世紀の頃にはギリシャ人による植民活動が活発に行われていました。
人口増加による食料不足、土地不足といった諸問題が彼らを新天地へと向かわせたこともありますが、何よりそれを可能とする優れた航海技術を持っていたことが大きな要因でした。
イタリア半島ではネアポリス(現在のナポリ)、カプア、シラクサなど植民都市が建設されていき、これらの都市国家が集まるイタリア半島の南側は後にローマ人からマグナ・グラエキア(大ギリシャ)とも言われます。マケドニアやペルシャのように脅威となる大国が近隣にいなかったこともあってか、ギリシャ本土以上の発展と平和を謳歌していたかもしれませんね。
ロムルスがローマを建国したのが紀元前753年4月21日とされていますので、既にこの頃のイタリア半島はギリシャ世界の一部であり、その文化の影響下にあったと考えても良いのではないでしょうか。
ルペルカリア祭はどこから来て何故今のバレンタインデーに続くほどのお祭りになったのか
こうした事実を踏まえると俄然エウアンドロスの伝説に真実味が増してきたと感じるのは自分だけでしょうか。
ファウヌスだけでなくユノもギリシャ神話に由来します。
ルペルカリア祭というのは元々はギリシャの一部で行われていた豊穣祈願祭が植民活動とともにイタリア半島に渡り、その文化風習がローマ人に浸透した後、ローマの地中海統一とともに急速に広まっていったのでは無いでしょうか。
またこうした広まりの背景には、毎年の豊作を切に願う気持ちが国や民族、宗教を越えて広く共有されていたからだと考えられます。
科学技術が発達した現代ですら、時期や場所を問わず作物を作るというのは限界があります。ましてや、紀元前です。農業による安定した食糧の確保というのは今の私達には想像もつかないほど切実な問題であった筈です。
最後に
ここまで私の妄想に付き合っていただきありがとうございます。
歴史とはその余白を想像で補って楽しむものだと、仕事でお世話になった方が仰ってました。無責任かもしれませんが、それが学者でも歴史家でもない愛好家に許された特権なのかなと思います。
ルペルカリア祭で実際何が行われたか、そしてバレンタインデーへと変わっていったかは詳しく載ってるサイトが幾つもあったので割愛しました。気が向けばまた書きます。
最後の最後になりますが
今年のバレンタインデーはルペルカリア祭にならって豊穣祈願とまではいかないにせよ
自分と大切な人達がこの一年食べ物に困りませんように
皆で秋に美味しいものが食べられますように
そんな祈りをあなたの神様に捧げてみては如何でしょうか