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『ゴジラVSビオランテ』レビュー:科学の暴走と人間のエゴの先に見えたもの

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はじめに

 1989年に公開された『ゴジラVSビオランテ』は、ゴジラシリーズの中でも特に大人向けの異色作品と言って良いのでは無いでしょうか。
 かく言う私も、子どもの頃に観たときは「なんかずーっと大人が画面に映ってばかりで、退屈だったなという感想でしたが、最近改めて見返すと、その緻密なテーマ性と骨太な人間ドラマに引き込まれてしまいました。
 本記事では、そんな『ゴジラVSビオランテ』の魅力を深掘りしていきたいと思います。

ゴジラシリーズでもトップレベルの完成度を誇る人間ドラマ

 子供心にこの映画って「ゴジラがなかなか出てこなくて退屈だった」という印象だったんですよ。実際に今回観返してみると、ゴジラの初登場まで約30分くらいかかってたのかな。
 そりゃ退屈に感じますわ。
 だってこっちはゴジラとビオランテのガチンコバトルを見に来たんですよ。
 なのに延々と知らないおじさん達が真剣な顔で唸っていたり、トレンディドラマみたいなワンシーンとか見せられてもポカーンってなりますって……。

 しかし、改めて観るとこの序盤の30分こそが作品の持つメッセージ性を際立たせ、怪獣映画の枠を越えた唯一無二の作品へと昇華させた事が分かります。
 

禁断の技術「抗核バクテリア」が突きつける問い

 本作のテーマを一言で表すなら「科学の暴走と人間のエゴ」と言ったところでしょうか。
 特に本作の序盤30分では「ゴジラが現れる前から、抗核バクテリアという核兵器すら無力化する禁断のテクノロジーに手を付けて良いのか?」という葛藤が濃密に描かれています。

 物語の中で、日本はゴジラを迎え撃つために抗核バクテリアを開発します。しかし、それは軍事利用されれば世界のパワーバランスを崩す危険な技術でもあります。まさに冷戦時代の軍拡競争を反映した設定ですが、このテーマは現代にも通じるものがあります。

「脅威に対して準備をしておくべきか、それともその技術がもたらす危険を考えて封印すべきか?」

 本作は、この問いに対して単純な○×ではなく、現実の問題と同じようにグレーなまま観客に突きつけます。ここが本作の奥深い魅力のひとつです。

怪獣映画としての新鮮さ 人間のドラマが生む戦い

 さてゴジラ作品ということで特撮パートの話をしていきましょう!
 
 まず子どもの時にどう感じてたかって話なんですけど、ビオランテとの戦い以上にスーパーXIIをはじめとした自衛隊の奮戦が印象に残ったんですよ。
 これがどうしてかと言うと、ストーリー自体が「科学の暴走に振り回されながらも、科学力を駆使してゴジラに立ち向かう人間たちの戦い」という建付けだったからなんですよ。
 言ってしまえば「怪獣が戦うことで物語が進む」のではなく、「物語が進行した結果として怪獣が戦う」という造りになってるんです。

 一般的なゴジラ映画ってゴジラと敵怪獣の戦いでストーリーを牽引してるんですよね。
「化け物には化け物をぶつけるんだよ」ってノリで、作品によっては人間がゴジラを利用してるみたいなのもあるじゃないですか。
 だけどこの映画のゴジラとビオランテは人間の思惑に振り回される存在じゃ無いというのが面白いんですよ。
 ゴジラもビオランテも、人間の科学の暴走とエゴによって生み出された存在でありながら、人間にはコントロール出来ない存在として描かれている。
 なんとも皮肉なものです。
 
 骨太なに描いてるからこそ 
 そんな人間ではどうすることも出来ない災害として描かれるゴジラとビオランテなわけですが、その理不尽さを際立たせているのが様々な思惑を持つ人々が入り乱れる濃密なドラマなんですよね。
 特撮パートとドラマパートがしっかりお互いの良さを伸ばしてるというのも、忘れちゃいけないポイントです。

まとめ:エンタメとしても、社会派映画としても秀逸

『ゴジラVSビオランテ』は、単なる怪獣映画に留まらず、科学の進歩と倫理、軍事技術のジレンマといった重厚なテーマを扱った作品です。子どもの頃には感じられなかった「ゴジラが出現する前のドラマ」や「人間のエゴが生む技術の恐ろしさ」が、大人になって観るとより深く理解できるようになりました。

 迫力のある特撮はもちろん、現代にも通じる社会的なテーマを持つ本作は、何度も見返す価値のある一本です。もし昔観たときの印象が「退屈だった」と感じた方がいたら、ぜひもう一度観てみることをおすすめします。