ほぼ週刊★平民貴族

心豊かに生きることをテーマにした雑誌ブログ。主に映画と歴史と書籍について書いています。

イジメを経験した人間が川崎殺傷事件で感じたこと

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川崎市で起きた殺傷事件から今日で一週間が経ちました。

犯行直後に犯人が自殺したこともあり

動機や原因、犯人のバックボーンについて色々と報じられていますが真実が明らかになる日は来ないのでしょう。

またこの事件の影響を受けて、元農水次官の男性が40代の息子を殺傷するという事件も起きたこともあり

より一層事件の背景に横たわる問題が複雑に感じられてしまうのは自分だけでは無いのではないでしょうか。

多分唯一絶対の答なんて無いので

各々が各々の受け止め方をして

自分なりの答を見つける。

それで良いのでは無いでしょうか。

どうせどんな答を見つけても痛みが引くわけでは無いのですから。

イジメという観点からこの事件を考えてみる

今回の一連の事件を巡る報道やそれに対する反応の中でも自分の目を引いたのはこちらです。

togetter.com

togetter.com

一連の事件の背景にイジメがあったのではないかという話ですね。


自分も小、中、高とイジメを受けていたので(今振り返ると長いな)

確かにイジメが背景にあると狂気を孕んだ人間が出来上がるなと合点がいきました。

これから述べる見解が絶対正しいとは自分も思いませんが

1つの解釈、1つの答として綴っていこうかと思います。

「いじめられる方に問題がある」は理由と権利を履き違える狂気

良くイジメを正当化したい方々が仰るのが

「いじめられる方に問題がある」との主張。

これは良くできた詭弁だと思いませんか?

良識のある方ならもうお分かりでしょうが

完璧な人間なんていないんです

問題の無い人間なんていないんですよ

恐らくまともな人間ほどこれを言われるとフリーズします。

言い返せなくなるんです。

でも良く考えてください。

だからなに?って話なんです

理由があるからいじめました

理由さえあれば何をしても良いんですか?

理由=権利では無いんですよ


今、この記事を読んでる人の中に

誰かを殺したいほど憎んだ人っておられますか?

おられたとして

実際に殺した方っていらっしゃいますか?



いませんよね?

何故思い止まったか

法律に基づいて裁きを受けるからと言うのもありますが

例え理由があっても駄目なものは駄目だと理性が歯止めを効かせてるんです。

自分にとってはこれが普通です。

皆さんにとってはどうでしょうか?


では、それっぽい理由さえあれば何をしても良いのだと

暴力を問題解決の手段として用いる否暴力を振るうことを目的とした人間ってどうですか?

狂ってるんですよ

自制が効かない状態におちいってます。

イジメ被害者は狂気にあてられる

イジメ被害を受けている者にとって一番のダメージはこの狂気に曝されることだと自分は思います。

話し合いなんて出来ませんよ

狂気にとりつかれた人間に法も道徳も通用しません。

この法と道徳はまともな人間ほど頼りにし、また自らの基準にするものです。

まさに何も成す術が無いまま時間だけが過ぎていきます。

その結果として被害者はどんどん狂っていきます。

自分も小学生時代はともかくとして中、高あたりは本当に気が狂ってたと思います。

中、高6年間の自分に関してはもうイジメられてしょうがないと思う。

いつも心の中は怨みと憎しみでいっぱいで

それだけ協調性に欠けて自己中心的でした。

社会に殺されかけると社会を壊したくなる

それでは何故イジメ被害者が暴力的衝動を爆発させるのか

例えば学校って1つのコミュニティ、1つの社会のようなもので

そこでイジメを受けて、教師含めて周りが誰も助けてくれないという状況だと

個人に攻撃されるという感覚から、社会やコミュニティといった集団すら越えた存在からの攻撃のように感じるんですよ。

自分もそういう感覚になったことがあって

だから進学や就職の際に進路を意識するに当たって

社会貢献なんて考えることが出来なかった。

だって社会に殺されかけたから。

自分を殺そうとした社会に、自分を助けてくれなかった社会に

何故貢献しなければいけないのか

そんな呪いのような感情を持ってました。

この社会やコミュニティに対する被害意識、復讐心のようなものが

川崎殺傷事件の土台にあったのではと自分は感じてしまいました。


社会に活かされた実感が人間性を甦らせる

前述の通り自分も世の中を憎みきっていた時期があり

こうした事件が起こる度に、自分もああなってたかもしれないっていつも思います。

それで自分が何で事件を起こさなかったんだろうってずっと今まで考えてたんです。

まだハッキリとした確信があるわけではないのですが

イジメられて、辛くて、憎くて

どうしようもなく社会を呪ってた自分が

社会の中で活かされ、救われた経験が自分を変えたんだと思います。


大学時代本気で怒ってくれた寮の先輩
(卒業した今になってようやく何で怒られたか理解できました。そんな自分を面倒みてくれてありがとうございます)

凹んだときいつもご飯作ったくれた寮の同期
(君のおかげで音楽、酒、サッカー色んなものを好きになれた。独身生活を謳歌できたのは君のおかげだ)

初めて都会に出てきた自分に0からファッションを教えてくれたショップのお兄さん
(おかげで引きこもりにならず好きな服着て楽しく外歩けるようになりました。デートしたり恋人出来たのも全部あなたのおかげです)

学生団体の先輩
(自分のアイデアを面白いと言ってくれたのはあなたが初めてです。あなたが自分を役立ててくれたから自分でも人の役に立てるのだと初めて実感できました)

ゼミの先生
(就職氷河期で就活が大変な中、卒論の資料全部探して持ってきてくれましたよね。本当に助かりました)

あとは社長や専務をはじめとした今の会社の人とか両親とかもう挙げればキリが無いんだけど

どうしようもない自分を

それでもこいつは良くなるって諦めず

付き合ってくれた

そういう人達がなんとか自分を社会の中に入れてくれた。

自分を社会の中で活かしてくれた。

この活かされた実感が自分を大きく変えたのかなと思います。



理由を拵えて人を攻撃することが大好きな人にはお分かりいただけないでしょうが

身近な人どうしでこうした実感を増やしていけたら世の中は少しずつ良くなっていくのではないでしょうか。

取り敢えず自分は明日から出来ることとして会社で今年入ったばかりの新入社員にこの気付きをもとに前向きに関わっていきます。